遠州流の始祖は小堀遠江守政一(小堀遠州公 1579年~1647年)で、茶の湯の五大宗匠の一人です。
小堀遠州公は徳川家康・徳川秀忠・徳川家光に仕え、作事奉行として、大徳寺孤篷庵や南禅寺の方丈南庭など多くの建築や作庭を手がけました。
又、三代将軍家光の茶の湯の師として近従しました。小堀遠州公の茶の湯は「綺麗・さび」と称され、大名・武士に多く重用されました。
いけ花においても「綺麗・さび」の品格と洗練の美意識が反映され、格式ある書院花として中興し、江戸中期以降大いに栄えてきました。
この時代、将軍家愛好の流派にあり、時の将軍 徳川吉宗公からいけ花の見事さをほめられ、松平家の「松」の字を賜ったと歴史に残されています。
寛政十年(1798年)、遠州流 本松斎一得宗家から、初代松琴斎一和宗匠(現在の岐阜県本巣市 数屋)が許状を得て、医業のかたわら流布に努められました。
以来、十三代にわたり、宗匠がその伝統を堅く受け継ぎ現在に至っております。
遠州流の歴代の宗匠、一世から八世までの碑が、観音霊場西国第三十三番満願霊場である谷汲山 華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積)境内に設けられています。
また、同町谷汲名礼にある緑地公園(第39回 全国育樹祭開催地)に、小堀遠州公の歌碑と、歴代宗匠の名を連ねた副碑が建立されています。
このように、現在まで美濃地方において伝統と歴史を受け継いできた流派です。